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ノスタルジック な町並み 『 宇陀松山 』 で町家歩き

『宇陀松山』での町家歩き スタート

「昔にタイムスリップしたみたい!」と誰もが思わず口にしてしまう…

そんなノスタルジックな情景が広がる「宇陀松山」。町家が残る理由、薬の伝承など、知識を身に付けたい方におすすめのエリアです。
整備された道は平坦で歩きやすいので、のんびり、ゆったり町家歩きを楽しみましょう。

宇陀松山地区

宇陀松山地区は、中世から江戸時代初期に宇陀松山城の城下町として栄えました。大坂と伊勢を結ぶ交通の要衝でもあり、江戸時代には商家町へと発展していった場所です。2006年に重要伝統的建造物保存地区と選定され、今では、町家をリノベーションしたお土産物店やカフェが立ち並ぶ観光客に人気のあるエリアです。

宇陀松山地区の案内所「宇陀市松山地区まちかどラボ」

宇陀松山の町家歩きをたっぷり楽しむなら、まずは宇陀松山地区の案内所「宇陀市松山地区まちかどラボ」へ。
行きたい場所の情報収集から始めましょう。

さあ、回りたい場所もチェックしたところで出発!

宇陀松山地区まちづくりセンター 千軒舎

まずは、近くにある「宇陀松山地区まちづくりセンター 千軒舎(せんげんしゃ)」へ

まちづくりセンター「千軒舎」

“千軒舎”という名称は、宇陀松山地区がかつて宇陀経済の中心として栄えていた際、その軒を連ねる家々の賑わいから「宇陀千軒」「松山千軒」と呼ばれていたことにちなんでいます。

こちらも、宇陀松山地区の歴史が分かる情報発信の拠点になっていて、宇陀松山城址や宇陀松山地区の資料が展示されています。

さて、散策を続けましょう。町家歩きで大切なことは、“目線“といわれています。

目線を下げると格子や矢来(やらい)、上げると壁には、うだつ。横を見ると、古い路地と、いろんな発見があるんですよ。町の中をサラサラと静かに流れる小川も風情を感じます。

日本最古の薬草園「森野旧薬園」

しばらく歩くと、「森野旧薬園」と書かれた石柱が見えてきます。ここが日本最古の薬草園です。

森野旧薬園

「森野旧薬園」のはじまりは、江戸時代中期。多種多様な薬草を栽培し、幕府におさめていたそうです。いまでも、四季折々に咲く約250種類の薬草木を楽しむことができます。

江戸時代の薬草関係の貴重な資料も展示してあります。

豆知識

宇陀市と薬の関係はとても深いもの。『日本書紀』によると、推古天皇19年(611年)に宇陀で日本最初の薬猟(くすりがり)を行ったと記録があります。男性は生薬の一種である鹿の角を、女性は薬草を採取。そのときに採取した薬草には菖蒲やヨモギが含まれていたのだそうです。

薬草のまちを目指して

さて、薬草で心にもたっぷり栄養を補給したら、散策を続けましょう。

宇陀市歴史文化館「薬の館」

しばらく進むと、ひときわ立派な建物「薬の館」が見えてきます。

宇陀市歴史文化館「薬の館」

館内は、懐かしい造り!広い土間に、使い込まれた竈竈(かまど)。薬問屋としての当時の息遣いが伝わってきます。

室内には、レトロ感たっぷりの薬の看板がズラリ!現在でも身近な薬の名前もあって親しみが湧いてきます。
日頃、何気なく服用しているお薬も、ルーツをたどれば宇陀市につながっているかもしれませんね。

豆知識

屋根に取り付けられている看板には「人参五臓圓・天寿丸」の文字。どういう意味なのでしょう?この建物は江戸時代の終わりに薬問屋を営んでいた細川家の住宅。人参五臓圓・天寿丸という腹薬を販売していたのだそう。看板の文字は薬の名前でした。唐破風の看板が時代を物語っています。

ゴールは、松山西口関門(かんもん)。

豆知識

松山西口関門は、城下町ができたときのまま現存しており、1931年に国史跡の指定を受けています。城下町の西門にあたる場所に位置し、川に面して建てられ黒門とも呼ばれています。

まちなみの変遷

風情ある伝統家屋の町並み、薬とのつながり。そのどれもが一体となって、宇陀松山を形作っていることに気がつきます。自分で歩き、発見し、知識を得ることの面白さを教えてくれる奥深い町。訪れるなら、履きなれた靴と好奇心を携えておでかけください!

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