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宇陀松山城 ~豊臣家と運命を供にした城~

宇陀松山城跡について

史跡宇陀松山城跡は、南北朝から戦国時代にかけて伊勢国司北畠氏かあら「和州宇陀三人衆」と呼ばれた秋山氏が築いた城である。

秋山氏退去後の豊臣政権のもとでは豊臣家配下の大名の居城として改修・整備が行われ、大和郡山城・高取城と並ぶ大和支配の拠点となった。

しかし、元和元年(1615)に城主である福島高晴が改易され、城は破城される。

平成7年から行われた発掘調査の結果、大規模な石垣や本丸御殿跡などが見つかり、安土・桃山時代から江戸時代初期にかけての壮大な城郭の姿が明らかとなった。

中世の山城の在り方と破城の様子を伝える城であることから、平成18年7月に国史跡の指定を受けた。

国史跡宇陀松山城跡パンフレット ダウンロード

宇陀松山城跡への見学ルートはこちら

 

記念物設置・販売場所

まちかどラボ  御城印、続100名城スタンプ、続100名城 城カード

千軒舎 続100名城スタンプ

道の駅宇陀路大宇陀 続100名城スタンプ

 

出土品など

宇陀松山城跡から出土した遺物(鬼瓦など)は、まちかどラボ、松山会館、千軒舎で見ることができます。

※城下町から出土した遺物(土器など)は、千軒舎で展示されています。

 

豊臣家と宇陀松山

宇陀松山城は、在地勢力の秋山氏が築いた山城を起源とし、「秋山城」と呼ばれていたが、天正13年(1585年)、秀吉の弟・豊臣秀長が大和郡山城に入ると、宇陀は戦略的要衝として重視され、豊臣配下の武将たちが相次いで城主として送り込まれた。

伊藤義之、加藤光泰、羽田正親といった豊臣家の家臣たちが城主を歴任し、この時期に城の大規模な改修が進められ、豊臣の管理拠点として、「大和郡山城」「高取城」と並び大和国を三方から守護する豊臣政権の支配体制の一翼を担った。

秀吉の没後、関ヶ原の戦いを経て豊臣配下の大名に代わり、福島高晴が城主となる。

高晴は城名を「松山城」と改め、城の改修と城下町の整備に尽力したが、大坂夏の陣において、高晴は豊臣方への内通を疑われ改易処分となり、幕府の命を受けた小堀遠州らによって、宇陀松山城は徹底的に破却(城割)された。

豊臣家の滅亡と同じくして、宇陀松山城もその命運を供にしたのである。

南北朝時代 阿紀神社の神職であった秋山氏が領主となり、古城山に城を築く。そのふもとに城下集落をつくる。「秋山城」
天正13年
(1585)

豊臣秀長が大和に入る。秋山氏退去。

伊藤義之、宇陀に入部。

天正14年
(1586)

加藤光泰、宇陀に入部。

天正16年
(1588)
羽田正親、宇陀に入部。
永禄元年
(1592)
多賀秀種、宇陀に入部。かたばみ文の鬼瓦が出土していることから、宇陀松山城跡の「作事」を担ったと考えられる。
慶長5年
(1600)
関ヶ原合戦後、福島高晴が宇陀に入部。「松山城」と改める。
慶長20年
(1615)
福島氏が改易。その後、宇陀松山城が小堀遠州・中坊秀政によって破却(破城)される。

宇陀松山まちあるき

宇陀松山重要伝統的建造物群保存地区

宇陀市の南西部に位置する宇陀市松山は、戦国期に地元の有力者であった秋山氏の居城とその城下集落として誕生しました。

その後、秋山氏に代わって入城した豊臣家配下の大名により城と城下が大規模に整備され、宇陀の政治・経済の中心地として発展しました。

現在、城山と宇陀川の間に南北に長く展開する町家群は、江戸後期から昭和初期にかけて建てられたもので、地区内に流れる川のせせらぎや、遠近に見える山々と調和して独特な景観を形成しています。

『伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)』は、周囲の環境と一体をなした歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いものとして市町村が定める地区の名称です。

重伝建地区のうち、国が特に価値が高いものであると判断したものは『重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)』に選定されています。

宇陀市は、平成18年に松山地区(宇陀市松山伝統的建造物群保存地区)が重伝建地区として選定されました。

重伝建松山地区のマップのダウンロード

 

散策コース

モデルコース 「ノスタルジックな町並み宇陀松山で町歩き」 

モデルコース 宇陀松山城の「抜け穴伝説」を探れ!

戦国の宇陀松山を知るコース

道の駅宇陀路大宇陀 → まちかどラボ → 千軒舎 → 宇陀松山城跡 → 春日神社 → 春日門跡 → 西口関門

 

薬草のまち宇陀松山

日本最古の「薬狩り」の地として伝わる宇陀松山は、飛鳥時代から続く日本の薬草文化の原点ともいえる町です。

日本を代表する数々の製薬会社の創業者を輩出したことでも知られ、まさに日本の近代製薬業の礎を築いた場所といえます。

町の一角に佇む日本最古の私設薬草園「森野旧薬園」では、今も約250種の薬草が四季を彩り、往時の面影を色濃く留めています。

歴史ある薬問屋の軒先や情緒豊かな街並みを歩けば、古人の知恵と情熱が息づく、宇陀松山ならではの健やかな時間に出会うことができるでしょう。

森野旧薬園  宇陀市歴史文化館 薬の館  大宇陀温泉 あきののゆ

アクセス

宇陀・松山地区までのアクセス

◆公共交通機関

近鉄大阪線榛原駅下車 奈良交通バス「大宇陀」行き 約20分

◆自動車

・名阪国道 針インターから 約30分

 国道369号を宇陀市方面→国道370号→国道166号

・南阪奈道路 葛城インターから 約40分

 国道165号→国道166号

宇陀松山城跡へのルート

宇陀松山城跡に駐車場はありません。道の駅宇陀路大宇陀の駐車場をご利用ください。

見学路について

①まちかどラボ裏手からのルート(徒歩約20分)

道の駅宇陀路大宇陀  → 徒歩3分 → まちかどラボ

 ・まちかどラボ(施設内を通り抜けることができます)

  ※まちかどラボに駐車場はありません。道の駅大宇陀の駐車場のご利用をおすすめします。

 ・まちかどラボの3軒隣にある千軒舎の脇にある小径から

  ※千軒舎に駐車場(縦列2台)はありますが、狭いので道の駅大宇陀の駐車場のご利用をおすすめします。

②春日神社(春日門跡)からのルート(徒歩約20分)

 道の駅宇陀路大宇陀 → 徒歩13分 → 春日門跡

春日神社への参道の春日門跡から登るルート。舗装されておらず、足元が悪いので注意が必要。

お問い合わせ

宇陀松山まちかどラボ TEL: 0745-88-9800

宇陀市教育員会事務局文化財課  TEL: 0745-82-3976

宇陀市観光課  TEL: 0745-82-2457 

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